保健所業務は「両刃の剣」ということについて
心の旅の会 寺澤 暢紘
私の保健所勤務は、静岡県の中西部地域の4か所で、1974年4月から2007年3月まで勤め、退職して13年になりますが、退職後10年間は生活支援センターや就労支援事業所で働きました。
働き始めた当時の静岡県内保健所では、月1回程度の精神障害当事者の親睦交流が主な「ソーシャルクラブ」が行われていていました。また、措置入院者の家族のための家族教室を、地域家族会として支援する業務がありました。
ここで少しだけ歴史を遡ります。1965年に精神衛生法が、前年のライシャワー事件をきっかけに改正され、この年全家連が発足しています。1980年新宿西口バス放火事件、大和川病院事件があり、1983年精神衛生実態調査がありました。1984年には宇都宮病院事件があり、国際的に日本の精神医療が問題になり、1993年精神保健法が施行されました。1994年に地域保健法が制定され、1995年精神保健福祉法の改正がありました。2001年の池田小学校事件を引き金に、2005年医療観察法が施行されました。2007年には全家連が解散しています。
このような法律的な流れは、既に指摘されているように事件の背景、原因の十分な解明がなされないまま、事後処理として法改正が行なわれています。
「保健所業務は両刃の剣」の端的な例が、ライシャワー事件後の法改正による「外来公費負担制度」(32条)にあります。現在は「自立支援医療」としてサービス利用が行なわれています。
ライシャワー事件を受けた国会での、精神障害者の「野放し論」が法改正になり、表向きは外来通院費の負担軽減を掲げ、その裏では管理強化を意図するという両刃なわけです。具体的には32条申請では、保健所が当事者の状況把握を行い、その内容が申請書に記載され審査会にかけられていました。
また、精神障害者の管理強化は地域からの要請がしばしばあります。私の経験では、「長期入院者の退院後の単身生活」について、地元議員、民生委員など地域の人達から総スカンを食らいました。こうした事態は、精神障害者の差別、偏見を背景にして、「保健所が何とかしろ」という話になります。
こうした場合、様々な例にあるように、隣組など地域関係者との話し合い、時に吊るし上げが行われながら、妥協点の模索が行なわれます。この時の参加者は、行政側が保健所と市の担当者、それと、NPOの生活支援センター(委託事業)の職員でした。結論的には、1 毎日行政及び生活支援センター職員が当事者を訪問する、2 当事者の日中の居場所を提供する、というような関りで何とか単身生活が始まりました。当事者への支援サービスの提供は、地域にしてみると「事故が起きないようにしっかり管理しろ」という注文を受けた結果でもあります。
1994年の地域保健法で保健所の状況は変化しています。今回の新型コロナウイルスの対応で、保健所の存在が浮かび上がりましたが、相談窓口、検査対応という伝染病予防対策での管理的業務を担わされています。
保健所当時の私自身のつもりは、当事者自身との面会、対話を通じ、抱えている状況の理解のための努力をしてきました。関係者の意見や説明を多く聞くことになりますが、可能な限り当事者の言葉を聞き、少しでも納得、合意が得られるように心がけてきたつもりです。
ところで、1980年から今年で40年になりますが、当事者を中心とした「心の旅の会」というグループ活動を続けています。きっかけは、保健所の昼休み、当事者と何気なく入った喫茶店で、「僕喫茶店は初めて」と、高専を卒業した彼から聞いた言葉でした。 精神病院への入院によって、当たり前の暮らしが出来ていなかったことを知りました。以降、数人の当事者と日曜日に食事をしたり、喫茶店で話をするなどして過ごすようになりました。
そうした中でアメリカの当事者が、「精神病は心の旅」と表現していることを知り、心の病の経験のある人もない人も一緒になって、「精神病や精神病院について知ってもらおう」と、毎月1回集まり40年。この8月で493回目の定例会となりました。
さてさて、保健所の両刃の剣である、治安管理としての剣が使われないことはありません。相談支援だけの仕事をしていたとしても、他の職員が措置入院の業務や、入院拒否の当事者の「受診支援」が行なわれるわけで、保健所が果たしている機能に変わりはありません。
保健所が両刃の剣を持っていることを自覚することであり、結果として当事者の意志や、状況に反したことになることを意識することだと思います。難しいことだと思いますが、結果的に当事者の意志に反した結果についての対応が大事だと思います。結果についての責任を意識すること、繰り返さないためには何をすればいいのか、改めて当事者の意見や状況を受け止めることの努力が必要になると思います。
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