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2020年7月7日火曜日


◎◎◎ 第33回 スウイートタウン心の旅 ◎◎◎
「心の病・・・?
       わたしは私」
オープンダイアログと
     リフレクティング
北欧の実践から学ぶ
◎ 日時:12月 2日(日) 
     10時~16 
◎ 会場:アイセル21
           (TEL 054-246-6191)
◎ ゲスト:
(ウメ)(マメ)こと梅下(ウメシタ) 節瑠(セツル)
(日本臨床心理学会オープンダイアログ/リフレクティング研究会)
《午前の部》 10時~12時 
    「オープンダイアログが目指すもの」  
          ウメマメこと梅下(ウメシタ) 節瑠(セツル)
    「わたしは私」 心の旅の会々員からのアピール
   《午後の部》  1時~4時  
ワークショップ  
実践 
オープンダイアログとリフレクティング
◎ 参加費:会場カンパ
◎ 主催:心の旅の会(連絡先:浜松市中区佐藤1-43-1-608 
090-9261-4840 
E-mail teranobu720@gmail.com
未来語りのダイアログ
(開かれた対話)
人びとの苦しさを
        状況にそって援助する方法  
呉秀三が日本各地の私宅監置の実情を調査(『精神病者私宅監置ノ實況及ビ其統計的           觀察』1918))して、今年で100年が経過しました。
 最近の精神医療をめぐるいくつかの事件を振り返えると、2016年、津久井やまゆり園事               件、2017年、精神病院での身体拘束が原因でのニュージーランド人の死亡事件、2018                年、 精神障害者監禁事件(兵庫県三田市)等々が目立ちます。
   心の旅の会では、心の病を抱える当事者の体験や精神病院への差別や偏見の状況を、身          近な人たちに伝えたいと考え、毎年「スウイートタウン心の旅」を開催してきました。2013年に
  「昔mattoの街があった」を、2014年には「オープンダイアログ」の映画を上映しました。
  日本の精神医療は、まだまだ精神病院中心で、精神障害者の人権や差別問題は後を絶っ
  ていません。それに比べて、イタリアやフィンランドは長い年月がかかっていますが、精神医療
  を改革してきています。バザーリアのイタリアでは、1978年に「バザーリア法」が制定され、全
  国の精神病院が廃止されました。また、フィンランドで行われているオープンダイアログは、19
  80年頃フィンランドで始まっています。
   今年のスウイートタウンでは、フィンランドで実践されているオープンダイアログを学びたいと
  思いました。それは、日本臨床心理学会の今年の大阪大会の、「対話と反想、オープン・ダイ
  アローグとリフレクティングは、社会的排除と差別に対して何ができるか?」というスローガンに
  惹かれたことにあります。
オープンダイアログで学ぶ
  
フィンランドのオープンダオアローグは、統合失調症発病間もない当事者本人と、家族や医師だけでなく精神医療関係者が対話によって治療を進めるというものです。明らかに日本の現在の精神病院や地域での医療や福祉との違いがあります。
  私たちは心の病を抱えている人もそうでない人も、辛かったり、苦しかったりする心の病を認めあいながら、仲間  2014年のスウイートタウンでのミイーティング
と一緒に相談したり、支えあおうと集りを持っています。今年のスウイートタウンは「心の病・・・? わたしは私」というタイトルで、障害者とは、健常者とは、なぜ障害者と健常者を分けるのか、どうしたら生きやすくなるのか等々のテーマで意見交換や交流をしたいと考えました。 
 オープンダイアローグを学ぶ事で、身近で聞かれる精神障害者への差別や偏見が、少しでも解消されていくことになることを望みます。最近少しずつオープンダイアローグの紹介や研修会が行われていますが、精神医療であれ、地域のサービスであれ、当事者本の「苦しさや状況に沿った」ものに変わっていってほしいと思います。
 今回はオープンダイアログの実践を、参加者の皆さんと一緒に行いたいと思います。開かれた対話を通して、精神医療や福祉の向上が図られるきっかけになることを望みたいと思います。

心の病は正当な体験

心の旅の会は19802月に、「精神病は心の旅」と表現するアメリカの精神障害当事者たちの活動を知った事から始まりました。
心の病の経験を、それぞれの人生の貴重な成長の過程ととらえようと考え、お互いの病気の様々な経験を尊重しながら、毎月1回の定例会を通じてささやかな自助活動を続けてきています。
 
  ある日の定例会での
あれやこれや

障害者雇用の行政の水増し問題は、障害者を馬鹿にしている。雇用率が言われているが精神の人は何パーセントか。障害者、高齢者も支えられる仕組みが必要だが、職場でもびしびし言われ厳しい。
あえて障害者といわなくていいのではないか。自分がやれることをやる。障害者だからと逃げてしまう人がいる。できることを逃げている。健常者は逃げられるが、障害者は障害から逃げられない。障害を捨てなさい、病気をやめなさいといわれてもできない。
何を持って健常者というのか。私は○○と言え○○という、自己申告で良いじゃない。
「殆ど健常者、軽い障害者」と言う人は、それでいいと思います。 
会社で「障害者のくせに」と、往々にして自分より下に思っているのではないか。手を組んで生きていけるようになってほしい。障害者は感じ易い。「くせに」と言われてズキーンとくる。身をぼろぼろにして、仕事は肩を並べてできる。 障害者も頑張っている。
日本社会は効率が優先される。「生産性」。日本では仕事が出来ないという事は無能に等しいとされる。如何に生産性を上げるかが問題になって。できない者、のろい者、邪魔者だと排除される。
口に出していかないと潰されちゃう。大変だけど、発信。声を出す。発信し続ける。スウイートタウンは小さいなりに価値がある。土台は変わらないかもしれないが、埋もれたくない、飲み込まれたくない。そういうスウイートタウンであってほしい。
その人その人を尊重して、そのうえで経済を考えてほしい。
不幸な子を産まない運動、偏見があり、障害者だから心配だと、レッテル貼りがされる。弱者 といえば物事丸く収まるのじゃないか。人間はだれも弱いとこあり、強者、弱者と区別しないで生きて行きたい。
結婚して子供を産んでフツー。結婚しない、一人暮らしはおかしい人か。自分は普通じゃないのか。一般の人とずれていないか、個性的。違いはたくさんある。フツーだと思いたいことが幸せにつながるのか。幸せって何なんだろう。自分が普通じゃないからと、幸せを求めている。表面的にみれば、自分はフツーじゃないけど、個性的。フツー= 幸せの構図。
日本は少数派では生き難い。少数派は大変だと見られ、自分が少数派に入りたくないと考える。 少数派の立場で見れば当たり前で認められればいいのだが、普通の人から見るとおかしいと言われる。親戚ではおかしいと言われ、街中では無関心。昔ながらのだめ人間として、烙印を押される。
話が変わります。
医師は王様。ケースワーカーは医療的な事は言えませんと、医師との調整もしてもらえなかった。退院請求寸前で拘束解除。保護室から個室へ移っても施錠、制限は継続。そしていきなり退院。看護師もびっくり。 一般科は変わってきているが精神科は変わっていない。がっかり。納得できる説明なし
相談できる人がいればいい。一人じゃ何もできない。一人でも相談できる人がいれば良い。   
身体拘束について納得できる説明が不十分ということは、病院側がインフォームドコンセントをしないということでは。治療をどうするのか、治療方針は面談で話したが、用紙では見ていない。   
読書を許可したらワーッとなったと、本が取り上げられ、拘束。読みたいだけ、メモしたいだけ。それをさせてもらえれば落ち着くはず。見立てが親とは逆。治療方針が納得できない。なぜ急に退院になったのか。ニュージーランドの男性死亡。知らないところで命を落としてしまっているかも。
健常者という言葉は障害者より使いたくない。健常者の中にもおかしい人はいっぱい居る。心の旅の会では、病にこだわって「病」を使ってきた。精神にこだわって。
病を持っていてもいいでしょう。「わたしは私」で

こんな定例会の話し合いは、しばしば行われますが、今年のスウイートタウンでは、「オープンダイアログとリフレクティング」を学びたいと考えました。参加者同士が耳を傾け、相手に届くような応答をする事で、社会的排除や差別の問題がどのように変えられるのか、おずおずと輪の中に入ってみたいと思います。
精神病の体験のある人も、
         ない人も一緒になって!